もどる  灘まつり  東山  八家  木場  宇佐崎  中村  松原  妻鹿

松原八幡神社

松原八幡神社 〔以前は松原八幡宮あるいは松原別宮:恋の浜八幡宮〕
鎮座地〔所在地〕姫路市白浜町甲339番地〔字松原社〕
御旅八幡神社(姫路市飾磨区妻鹿780番地〔字宮山〕
御祭神 品陀和気命(ほんだわけのみこと)応神天皇
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)神功皇后
比咩大神(ひめおおかみ)比咩三神

上のうち 品陀和気命は誉田別命(ほむたわけのみこと)
息長足姫命は息長足媛命、比咩大神は比売大神などとも記されています。

比咩大神
(ひめおおかみ)
比咩三神
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
という三女神(さんにょしん)の総称で比咩三神ともいわれる。

松原八幡神社祭神の本殿内での配置
左殿(東側)息長足姫命 中殿(中央)品陀和気命 右殿(西側)比咩大神

明治44年(1911年)3月松原神社が神饌料幣帛料供進神社に指定されてから
昭和22年(1945年)の敗戦時に至るまでは、弊饌を捧げるための供進使として
1013日に県庁の係官が見えて神事が行われ、この日の行事を秋季例大祭の官祭と称し、
1415日の行事は私祭と称した。この年代の秋季例大祭は131415日の3日間とういことになる。

大鳥居 大正13年、大阪八幡会奉献の石造大鳥居は昭和29年崩壊し同44年現在の鉄鋼大鳥居が建設された。
楼門 延宝7年(1679年)建立 昭和56年姫路市指定文化財

拝殿 大正13年に現在の土間拝殿が竣工、高床の元の拝殿は移築して絵馬堂。

江戸時代末期安政3年(1856年)松原村の陰陽師、佐々木堂靜〔元松江藩士で、松原村には、
弘化元年(1844年)より明治元年まで在住が、時の藩主である酒井忠顕に、屋台の宮入順序について、
江戸時代末期安政3年(1856年)・トラブルなきよう四柱推命(24宿→12支→宇宙)で
八正寺を中心に各村の位置から屋台の宮入順決まる(
東山・木場・松原・八家・妻鹿・宇佐崎・中村)。明治3年(1870年)八正寺は神仏分離により、
松原神社となり、この年より神輿は各村ごとの輪番制になった。
明治5年太陽歴採用。


神紋左三つ巴(弓矢の神及び防火)

参考資料=神社史及び播州屋台記抜粋

もどる  灘まつり  東山  八家  木場  宇佐崎  中村  松原  妻鹿