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八正寺 | ||||||||||||||||||||
615年 八正寺妻鹿村に建立 622年 灘七村の中心地に移る 633年 広大な社領内に一応の原型できあがる 1239年→1332年 米俵・酒〔樽入り)等の豊作物を八正寺にミコシで奉納ケンカ祭りの始まり (祭礼日11月7・8日) 1709年御旅所決定 1730年御神幸行列はじまる 文化3年(1806年)祭礼日、9月14、15日に変更(旧11月7、8日) 文化5年(1808年)神輿登場:1の丸・2の丸・3の丸として。ヤッサ登場:木場邑。 弘化元年(1844年)播州で初めて神輿屋根屋台作られる〔松原ヤッサ〕。 安政3年(1856年〕神功皇后説採用、伊勢音頭導入:藩主酒井忠顕。 酒井忠顕(さかいただてる)=江戸時代末期の大名。第7代姫路藩藩主。 妻鹿ヤッサ2台時代始まる(明治7年まで) 安政5年 八正寺 祭神3体となる。 宮入順序決定(東山・木場・松原・八家・妻鹿・宇佐崎・中村) 明治3年(1870年)神仏分離のため八正寺→松原神社となる。ミコシ=各村輪番制になる。 以前は7村で3台〔松原・中村:八家・木場:東山・妻鹿・宇佐崎) 明治5年(1872年〕祭礼10月14日、15日に変更〔太陽暦採用〕 明治8年四手に紙を使用〔従来は布〕 明治43年松原ヤッサに初めて伊達綱使用 日本の祭礼のルーツは、インド及びネパール。日本各地の祭礼ルーツは、 京都・八坂神社祇園祭である。 八坂神社〔インドの祇園精舎の守護神である牛頭天王をまつる〕 播州地方の祭ルーツ=八正寺(現松原神社)=灘地区である。 ◆祭典にかかわる口伝=祭典に係る口伝(赤松政則神社社殿再建=竣工祭に米俵200俵を寄進) 各村参拝の順序は神功皇后三韓御征討当時の順序(八正へ挨拶に来た順)で 東山村八幡宮の御紋入りの御旗を持ちて 第一に進み、第二番は木場村、第三番八家村、第四妻鹿村、第五松原村、第六宇佐崎村。第七中村伝々。 屋台は三韓御征討の時に用いられし軍船にかたどりたるにて屋台をかくものは赤き布切を頭にいただく。など |
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