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加藤清正(正面:南)
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名、越後熊本藩の初代藩主。
豊臣秀吉の家臣として仕え、各地を転戦。秀吉没後は徳川の家臣となり
関ヶ原の戦いによって越後熊本藩主となる。
賤ヶ岳(しずがたけ)七本槍の一人である。

仁田忠恒(裏正面・北)
仁安3年(1168年)ー建仁3年(1203年)は、
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。
名は新田忠常とも日田忠恒
とも言われた。
通称は仁田四郎。治承4年(1180年)源頼朝が挙兵すると、その家臣となった。
平氏追討に当たっては源範頼の軍に従って各地を転戦して武功を挙げた。。
文治5年(1189年)の奥州合戦においても戦功を挙げた。
建久4年(1193年)曾我兄弟の仇討ちの際に、兄の曽我十郎祐成を討ち取る。

武蔵坊弁慶(東)
生年月日は不詳ー平安時代末期の僧衆(僧兵)。源義経の郎党。
五条大橋で源義経と出会って以来、最後まで仕えた。熊野別当湛増の子で、
紀伊国出身と言われている。元は比叡山の僧で、武術を好んだ。

鬼若丸(西)
弁慶の幼名。比叡山西塔に預けられていた為、西塔鬼若丸の名で呼ばれる

子供の頃鬼若丸はやんちゃばかりしていた。ある時八尺もある鯉が大暴れ、
鬼若丸は短刀を持って単身鯉に立ち向かい、見事鯉を退治した。