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高欄掛の飾り付けは陰陽五行思想に基づく

陰陽説と五行説(自然と社会の現象を陰陽二元の相反と相互依存によって説くのが陰陽説
で、その影響を受けて宇宙成育を
(もく)=青・()=赤・()=黄・(ごん)=白・(すい)=黒の五要素の消長によって説くのが五行説。
陰陽五行説として広まった)。

二節の起源は明らかでないが、紀元前1030年頃〜紀元前221年の周の時代に、世界認識
の概念として使われはJめ、漢代「紀元前202年〜紀元後220年)には、易に由来する陰陽説
と世界を木・火・土・金・水の五行で説明する五行説が結びつき、陰陽五行説により今日に至る
理論体系を整えたもので、この思想は後の6世紀になって朝鮮半島を経由して日本に入り、
多くの影響を日本の歴史に与えた。
例えば四霊に於いては、国宝薬師如来座像の台座、高松古墳に描かれた壁画が有名である。
又、平安京から江戸の街づくりに至る、都市建設の思想の基ともなっている。
また、聖徳太子の冠位十二階の徳目として仁・礼・信・義・智の五常が採用されている。
わかりやすい例では、現在の大相撲の櫓の四方の房の色(従来は四本柱の色であった)
が東は青房・南は赤房・西は白房・北は黒房そして中央の土俵は黄色で表され、これが累々と
引き継がれ今日に至っています。
平安時代の陰陽師=安部清明・芦屋道満(ドーマン・セーマン)。
陰陽道は明治政府によって禁止される。