中村屋台の紋

対鳩紋 十六菊紋 昇り龍紋 菊水紋 五七の桐紋 左三つ巴紋
大幟 江戸期 明治24年から 大正14年から 昭和54年から 左右の紋

十六菊 太陽をあらわし、鎌倉時代初期の後鳥羽上皇が愛用され代々受け継がれてきました
左三つ巴 八幡神社の神紋(巴は大切な水と火を表す
五七の桐 神宮寺だった八正寺の紋(桐はめでたい鳥が集まる嘉木:栄かえる)
神輿  1の丸(龍)・2の丸(五七の桐)・3の丸(左三つ巴)
大幟 二羽の鳩が向かい合った対鳩紋は八幡大菩薩の旗印(鳩は平和のシンボル)
屋台紋  松原・妻鹿・八家は前後左右左三つ巴の共通紋で中村・宇佐崎・東山・木場の左右の側面は左三つ巴
中村の前後は五七の桐・宇佐崎は・東山は豊臣秀吉の馬印の千成(千生)瓢箪・木場は菊水
参考(各屋台(神輿屋台)の紋所は全て前後両面が菊の紋で左右両面は神輿も含めて左三つ巴であったが
明治期に入り天皇の神格化とともに民間での菊の紋の使用は実質的に不可能になった。
五七の桐紋は菊紋とともに皇室の紋、とくに皇后の紋とされている紋所。
明治24年昇り龍と三つ巴に・大正14年菊の葉2枚を浮かべた菊水と三つ巴に・昭和54年に五七桐と三つ巴に変わった。
この五七の桐は京都の金工名人が精魂込めて1枚の銅版より叩きだした貴重なものである。
(昭和54年当時=錺金具に近代的金剛石)