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嘉吉の乱(かきつのらん)は、室町時代中期の反逆事件
441年、播磨国守護の赤松満祐(あかまつ みつすけ)が、蝦夷将軍足利義教を自邸に招いて暗殺し、
領国播磨に逃れたが山名宗全らの幕府方討伐軍に敗れて討たれるまでの一連の騒乱を指す。
【室町時代の播磨・美作・備前の守護大名】
満祐反逆の動機は、有力守護に対して圧力を強めていた将軍義教が、満祐の同族の赤松貞村を寵愛し、
満祐を排除しようとする動きを見せたことから、満祐が身の危険をおぼえたためとされる。
赤松氏はこの事件によって一時的に滅亡した。
山名宗全は、この乱で満祐を討ち果たしたことによって、室町時代における発言力を強めた。
赤松氏一族
赤松家範・赤松久範・赤松茂則・赤松則村(円心)・赤松範資・赤松貞範・赤松則祐・赤松満祐
赤松教康・赤松政則・赤松義村・赤松晴政・赤松義祐・赤松則房・赤松則英・赤松政秀・赤松政広
・赤松政元・赤松正満・赤松正澄・赤松正範・赤松政範・赤松政直・赤松政澄・赤松政之・赤松政茂
・赤松氏満・平井祐利・川島頼村・川村頼春

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