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神亀元年から大正までの郷土のあゆみ 神亀(じんき・724〜729年・奈良) 
神亀元年
(じんきがんねん)

(724年)
八正寺開創(第45代天皇・聖武天皇の神亀元年・行基菩薩によって開創
天平1年
(729年)
僧行基、塩浜を築いた。その後、江戸時代、姫路藩が塩田開発を奨励
天平宝字
(てんびょうほうじ)

7年
(763年)
4月11日 松原八幡神社創祀(第47代天皇・淳仁天皇によって創建)
荘園時代は石清水八幡宮の別宮で、松原別宮と呼ばれていた(平安時代中頃律令制で土地の国有制
→皇族、貴族、寺社による大規模な土地の私有化が進行し荘園制の成立)
天平宝字7年
(763年4月11日)
八正寺は松原八幡神社の神宮寺として豊前国宇佐八幡宮の神霊を勧請し、社僧により奉祀しました。
明治維新後、仏教と神道が分離されるまで神仏習合により神官と僧侶をかねた社僧が大勢奉仕していました。
建久4年
(1193年)
赤松則景播磨守護職となる
正治1年
(1199年)
小山朝政播磨守護職となる
元弘3年
(1333年)
赤松則村(円心)播磨で挙兵・(鎌倉幕府滅びる)(1348年楠木正成戦死)
応永3年
(1396年)
9月・例大祭の執行要領『播州飾磨郡松原山八正寺九月十五日神事軌式亀鏡』
神社主体の神事が神宮寺の社僧を中心に執行されていた(屋台・檀尻は出現していなかった)。
嘉吉元年
(1441年)
嘉吉の乱(かきつのらん)・室町時代中期の反逆事件
応仁1年
(1467年)
応仁の乱(おうにんのらん)・室町幕府8代将軍足利義政のときにおきた戦争。
応仁2年
(1468年)
赤松左京太夫政則氏は、将軍足利義正に功績があって再興し播磨、備前、美作の三ヶ国を山名
から奪回し領主となる。
文明3年
(1471年)
松原八幡神社の社殿修復再建、竣工祭には米二百俵を寄進しました(氏子喜びお旅山まで米俵担いで運ぶ)。
文明5年
(1473年)
赤松左京大夫政則神社修復再建・神輿屋台(現在の屋台原型)出現
永禄元年
(1559年)
赤松左京大夫政則松原神社を立派に再建
天正元年
(1573年)
羽柴秀吉・援助要請(松原八幡神社内で姫路・三木・居残と三つに分かれ意思統一出来ないことに別所長冶
の敗戦兵、怒り七堂伽籃四十八坊灰塵となった)
別所長治1555〜1580)播磨守護赤松氏の一族
天正12年
(1584年)
松原八幡神社の僧、快祐が社殿を復興し八正寺六坊を建てるが秀吉が天下平定後、社領を60石に減らす
このとき以来、江戸時代歴代将軍・姫路城主より六十石の朱印状を下知され、明治維新に至っている。
※松原山八正寺寺内の塔中寺院・たっちゅうじいん(霊山院りょうざんいん・宝積院ほうじゃくいん・文殊院
・光明院・鎮城院・宝蔵)※薬師堂・観音堂
元正2年
(1574年)
106代正親町天皇時代・八正寺霊山坊快祐が鬼会式は八幡宮より出ずと『年中行事掟』
天正8年
(1580年)
三木城滅ぶ(城主・別所長治自刀)。羽柴秀吉、姫路城15代城主となる
慶長5年
(1600年)
池田輝政、姫路城城主となる。
元和3年
(1617年)
本多忠政、姫路城主となる
寛永2年
(1625年)
塩田開発進む。
寛永16年
(1639年)
木庭神社(松原八幡宮の別宮)三木城主別所長冶の遺腹の子三木久右衛門宗栄が建立
寛延2年
(1749年)
正月から2月にかけ大規模な百姓一揆(藩主松平朝矩)
寛延3年
(1750年)
姫路蕃宇佐崎組村々明細帳(飾東郡宇佐崎村・木場村・八家村・東山村・中村・松原村・妻鹿村・継村・奥山村
・北原村・兼田村・東阿保村・阿成村・下中嶋村

寛延3年姫路蕃酒井氏領播磨国飾東郡宇佐崎組 中村・宇佐崎村・松原村・・・
中村地区戸数130軒人口805人(明治14年白浜村988戸4,452人・昭和42年中村513世帯2,043人)
宝暦8年
(1758年)
八幡宮御神事御式定(神役・神事作法・行列順に関する申し合わせ)灘七村の村役が協議・
この時点で神輿屋台を出していたのは木場村・中村・松原村の三か村に過ぎなかった
(神輿屋台は獅子檀尻や丹鶴より遅かった)

『神事御渡では神輿屋台は古いものを先にする』と決まる(木場・松原・中村の順)
神輿屋台はすべての後方にすること
神輿当番は七か村を東山・八家・木場で一組・宇佐崎・中村で一組・松原・妻鹿で一組の三組に分け
3年に一度の練り番
文化・文政
(1804年)
事業に成功して資産を蓄積する企業家が続出、祭例行事に思い切った寄付をした
文化3年
(1806年)
祭礼日を9月14日・15日に変更
嘉永4年
(1851年)
奉納絵馬・祭礼絵馬・ 文政11年(1828年)奉納
嘉永5年
(1852年)
宇佐崎(中ノ丁)屋台新調
嘉永7年
(1854年)
松原(中ノ町)屋台新調・当時は松原西ノ丁と2台の屋台があった。
安政3年(1858年)〜明治7年(1874年)の18年間妻鹿村屋台は大小2台。
文久元年
(1861年)
宇佐崎(西ノ丁)屋台新調
(1865年) 江戸時代末期・21代孝明天皇・夜鬼会式
四柱推命で八正寺を中心に24宿の各村の位置から屋台の宮入順決まる。
慶応3年
(1867年)
10月14日京都二条城で徳川15代将軍慶喜大政奉還宣言
慶応4年
(1868年)
9月8日・明治と改元
明治2年
(1869年)
酒井忠邦、姫路藩知事になる(1853年ペリー来航)
明治3年
(1870年)
神仏分離(八正寺と松原八幡神社(松原八幡宮)
明治4年
(1871年)
7月14日、姫路藩を姫路県と改名。11月9日飾磨県となる。廃藩置県
松原屋台新調
明治5年
(1872年)
祭礼日を10月14日・15日に変更(太陽暦を採用)
明治8年
(1875年)
7月粟生小学校設立→分離東山に啓明小学校、→木場に分校出来る(三ツ橋小、)八家(八佳小出来る、)
四手に紙を使用(従来は布)
明治9年
(1876年)
兵庫、飾磨、豊岡、名東の四県が合併し、兵庫県となる
明治12年
(1879年)
10月・神輿三躰新調(明治43年・大正5年・大正13年新調
明治20年
8月下旬
大風雨堤防氾濫・塩田浸水・家屋浸水(明治21年・明治23年9月17日・明治24年8月・明治25年中旬・
明治27年9月自然災害受ける
明治21年
(1888年)
7月31日・市川大増水で堤防決壊
12月山陽鉄道(旧国鉄、現在JR)が兵庫・姫路間開通・翌年兵庫、神戸間開通で東京まで直通
(明治22年旧憲法発布)
1896年頃 マッチ工場の誘致
明治23年
(1890年)
9月17日・大風雨で市川氾濫、堤防決壊で白浜、糸引地区浸水
明治24年
(1891年)
はじめてマッチ張りの事業をする(明治27年)
8月・大風雨で市川増水で妻鹿の農作物全滅
中村屋台新調
明治25年
(1892年)
9月中旬・大風雨、高潮で海岸の堤防決壊する
明治26年
(1893年)
中村屋台倉(郷倉)9月吉日(大庄屋の財宝庫を移築
明治27年
(1894年)
日清戦争起こる
9月・大風雨で妻鹿の農作物に被害でる

松原屋台大修理
明治29年
(1896年)
飾東郡が飾西郡と合併し飾磨郡となる(播磨の国飾東郡白浜村→飾磨郡白浜村 )
明治30年
(1897年)
中村屋台狭間(彫り物)新調
明治33年
(1900年)
各地域氏子中村1033人、宇佐崎1499人、木場2088人、八家842人、東山1501人、妻鹿3132人、
松原1608人、合計11702人
宇佐崎屋台新調(宇佐崎屋台は明治初期に3台から1台となる)
明治40年
(1907年)
鬼会式大祭典執行(夜鬼)
明治43年 兵庫電軌(現JR) 3月15日兵庫〜須磨間・大正6年4月12日兵庫〜明石間
大正7年
(1918年)
松原練番・宮前の粕場で潮掻するが雨のため祭りは延期(17日は秋晴れ)
大正10年
(1921年)
明姫鉄道(現在の山陽電車)のトンネル口に決まり神輿道が変更された(妻鹿寄りより昇っていた)
・八家練番)
大正12年
(1923年)
(山陽電鉄)
8月19日 明姫電鉄(現山陽電鉄)明石〜姫路間開業
明石駅前・西新町・藤江・中八木・江井ヶ島・江井ヶ島西口・魚住・東二見・本荘・別府北口・浜の宮
・尾上の松・高砂町・荒井・伊保・曽根町・大塩・的形・八家・白浜の宮・妻鹿・飾磨町・亀山御坊
・手柄・姫路駅前の25駅で全線7区間)運賃1区大人片道11銭・2区21銭・3区31銭・4区40銭
・5区49銭・6区5銭・7区64銭(青太字は運賃境界駅)
なお、旅客誘致として二見・高砂・八家・白浜の海水浴場、高砂・白浜の汐干開設。
宇治川電気(現山陽電鉄)昭和3年8月26日兵庫〜姫路間直通運転開始
山陽電鉄(昭和9年9月18日関電・宇治川電鉄から独立)
9月1日・関東地方南部を襲った大地震で死者・行方不明14万2千8百名・地震直後相模湾・南房総に大津波
関東大震災・練物遠慮(中止)神事だけを執行・宇佐崎練番
大正14年
(1925年)
大正天皇・皇后の祝賀行事で5月10日・一日限りの屋台練り合わせ(当日の宮入順序は木場・八家
・妻鹿・東山・松原・中村・宇佐崎)
例大祭は賑々しく祭典を執行・練り番は中村
中村屋台新調
大正15年
(1926年)
宮入順(宵宮)AM11時30分東山・AM11時30分妻鹿・PM2時木場・PM2時30分八家・PM3時松原
・PM4時30分宇佐崎・PM5時中村(練り番松原)  何でだろう(トルブル防止?)
中村屋台狭間(彫り物)新調
昭和元年
(1926年)
大正15年12月25日・大正天皇が死去・摂政裕仁親王が践祚、昭和と改元
「昭和」の字義は世界平和と君民一致の大義を現はしたものである。
社団法人日本放送協会設立
白米10キログラム3円20銭・放送受信料1円・入浴料5銭
内閣総理大臣・若槻禮次郎

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