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狭間:歴史上の高名な物語が彫られている |
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(左)神功皇后
(右)天神記大臣菅原道真は右大臣藤原時平の策略により太宰符に流罪→企てを知った菅原道真は雷神となり怒りで京の空を焦がす |
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(左)名和長年後醍醐天皇御迎の場
元弘3年(1333)千種忠顕を共に隠岐島より脱出し伯耆の豪族・名和長年に迎えられた後醍醐天皇
→長年の弟・長重に背負われ上陸、船上山に立て籠もる→隠岐の判官、
佐々木清綱が三千の大軍で攻め寄せる→名和一族の奮戦でこれを打ち破る→建武中興の火蓋を切った
(右)布引四段目小桜責(朝廷と平 清盛)
平清盛により鳥羽離宮に幽閉鎖されている白河法皇を救出するため琵琶法師として松波検校が腰元として
娘小桜が御殿に入り込む→御殿警護の仕丁・怒り上戸の平次は
小桜を捕らえる→父の名を言えと責めながら検校に対しては琵琶一曲を所望→検校は娘の折檻を
見て音色乱れる→悟った平次が検校逃がさじと切りつける |
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(左)須佐之男命大蛇(オロチ)退治
出雲国に降りられた須佐之男命は八つの頭を持つ八岐の大蛇に怯える→櫛名田媛をお救いする
為八つの酒樽で大蛇を酔わせる→十握の剣で退治
→大蛇の尾の中から刃鋭い立派な剣が手で出せた。尊は、天照大神に献された。
これが三種の神器の一つ【天叢霊剣】である
(右)本能寺の変(織田信長と明智光秀)
天下統一を目指す織田信長は明智光秀に羽柴秀吉率いる中国征伐軍の加勢を命じる
→光秀は軍勢を率いて反転→天正10年(1582)6月20日未明、
信長の宿所本能寺を急襲、謀版に及んだ→信長志半ばにして斃れた |
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(左)楠公父子訣別桜井駅
楠木正成は、柔弱な長袖連中のため、足利尊氏を兵庫浜にて邀撃すると伝う不利な戦いに望まなければならなくなった。
出陣にあたり正成は、
桜井駅に息子・正行を呼び、形見の短刀を手渡し、今生の別れをする。
※桜井駅(奈良県の西国街道沿いで西に湊川・南に交野・四条畷・南に河内に行ける分岐点=延元元年(1336年)
九州から大軍を率いて入洛してくる
足利尊氏を討つべきで湊川に向かう楠木正成は嫡子(ちゃくし)に訓戒を与えて河内に帰らせた父子別れの場所
(右)五条大橋の弁慶と牛若丸
武蔵坊弁慶は千本の太刀を集めようとして後一本→京の五条大橋で横笛吹く牛若丸と出会う
→弁慶は牛若丸の
黄金の太刀を奪おうと襲いかかる→打ち負かされる→牛若丸と弁慶は主従の契りを結ぶ |
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(左)一の谷合戦
1183年偉大な指導者を失った平家は源義仲の軍に京を追われる→1184年福原に終結した平家軍が源範頼、
義経と激突→須磨一の谷で源義経逆落とし、平敦盛が非業の戦死
(右)壇ノ浦の合戦
平知盛は平清盛の子で平安末期の武将。知盛は壇ノ浦の戦いで教経と共に大活躍→兄宗盛が生け捕りになり武門の恥辱の極み
→平家に利あらず一門の最期を見届けた知盛→知盛は大碇を抱いて海中に身を投じる |
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(左)源義経の鵯越(ひよごえ)の逆落とし
源平合戦の英雄・源義経は鵯越の逆落としの奇襲作戦で一の谷の戦いを大勝利に導いた
(右)那須与一の扇的射
文治元年(1185)屋島の戦いで揺れる船の上の扇の的を射よと平家から挑発→那須与一は見事射落した(源氏の武士) |
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(左)加藤清正の虎退治
(右)鶴岡八幡宮(放生会の場)
源頼朝は冶承4年(1180)10月平家打倒の兵を挙げ鎌倉に入った→由比ガ浜の八幡宮を現在位置(小林郷北山)に還す=鎌倉武士の守護神
;頼朝は義経の愛人静御前に舞を命ずる→義経を慕う歌を詠み舞った→頼朝の怒りを買う→自ら命を失う |
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川中島合戦(上杉謙信と武田信玄の戦い)
信濃国(長野県)北部の川中島で上杉謙信と武田信玄は天文22年(1553)8月から幾度も激しい合戦を展開した
(右)菅原道真公遊歩の場 |
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天の岩屋戸の変佐之男命のご暴状に怒った天照大神が、天の岩戸に籠もる→天下は全て真暗→八萬の天神達が安河原に
集まり騒ぐ→ついに天照大神は天の岩戸よりお出まし→世は再び明るくなった。
天照大神(あまてらすおおかみ)
=日本の神様の中で最高神の地位を占める神様で太陽の神様であり高天原(たかまかはら)の主宰神です
天照大神は現在伊勢神宮に祭られています(イザナギの神とアザナミ神から生まれる)。
須佐之男命(素戔鳴尊・すさのおのみこと)
=伊邪那岐神の三貴子といわれた。神のうちの一人。姉である天照大神に挨拶に行きました。
そこで岩屋戸事件を起こし高天原から追放される。
※八俣大蛇退治の神話・悪神から善神への転化 |
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巴御前奮戦(木曽義仲の愛妾;木曽仲三の娘)
巴御前は勇武で美女ながら男勝り太刀で信濃・横田河原の戦いで敵七騎を討ち取り高名を得る |
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佐久間玄蕃太閤本陣乗り込み(賤ヶ岳の戦いで柴田勝家方の猛将・佐久間玄蕃)
天正11年(1583年)賤ヶ岳(しずがだけ)合戦に於いて柴田勝家方の猛将・佐久間盛政は、右手に鉄棒を引っさげ敵陣に躍り込み、
群がり来る敵兵を薙ぎ倒し、秀吉本陣目指し、一参に突き進む。
※佐久間盛政=父・久右衛門盛次・母柴田勝家の妹
織田信長に仕え、加賀一向一揆をおさめ加賀守護となった。信長の武将として数々の戦功をあげるなど武名高かった。 |
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安宅(義経主従は源頼朝の討手から逃れる為、安宅関での出来事)
源義経主従は源頼朝の追っ手から逃れるため奥州へ向かった→安宅関で関守・富樫家経に嫌疑を懸けられ、
東大寺勧進の山伏と名乗り疑いを晴らす→番卒の訴えで強力姿の義経が呼び止められる
→弁慶が義経を金剛杖で打ちのめすに及んだ→家経は、弁慶の苦衷を察し、通行を許可する |
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(左)矢の根(曽我五郎時致の話)
曽我五郎が父の敵工藤裕経を討つため矢の根を研いていた→兄の十郎が工藤の館に捕らえられている夢を見る
→馬子から奪った馬に乗って十郎を救いに駆け出す。
(右)鎮西八郎為朝の強弓
鎮西八郎為朝は智・仁・勇の三徳をそなえた平安時代末期の武将で弓矢の名手。保元の乱に敗れ伊豆大島に流罪→後白河院は
為朝の謀反を恐れ狩野介茂光に命じ大島攻めを決行
→迎え打つ為朝は討手集団を相手に岩上に立って先頭の船に狙いを定め大弓を引き矢を放つ→見事命中→一矢で船を沈めた |
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江戸時代の中村屋台狭間(初代松本義廣作) |
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(左)安宅
義経主従の安宅の関(あたかのせき)で関守・富樫家経の疑いを晴らすため弁慶が義経を金剛杖で打擲する場面
(右)祇園林夜雨
平忠盛の化け物捕う場面(化け物=御堂に燈明を点ける為に通う老法師であった) |
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(左)玄徳躍馬跳檀杏渓
暗殺されかかった劉備玄徳が檀峡を跳び越え脱出に成功した場面
(右)国士無双
国士無双=天下に並ぶ者がいないという意味:中国の武将韓信の話 |
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中村屋台の狭間(昭和54年初代中山龍雲作:平成13年撮影) |
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天の岩屋戸の変(正面) |
佐久間玄蕃の太閤本陣乗り込み(東) |
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村上義光の錦旗奪奪(西) |
楠公父子別れの桜井駅(裏正面) |
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