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明石城と柿本神社  |
◎枝吉城(えだよしじょう又はしきつじょう)→船上城(ふなげじょう)→明石城(あかしじょう) |
明石城(別名喜春城:錦江城)所在地は明石市明石公園
明石で最初のお城は、
今から約500年前当時(室町時代中期)の豪族、明石氏が築城した枝吉(しきつ)城だと言われる。
その後、豊臣秀吉が天下を統一、秀吉はキリシタン大名として有名な高山右近を入城させ、
まもなく明石市船上に城を移しました。
さらに江戸時代になると、一国一城令に伴い、現在の地に明石城が築城された。
元和3年(1617年)徳川家康曽孫の小笠原(忠政)忠真が、信州松本から明石城へ国替えとなり、
現在の明石城より南西1q程の船上城に入った時から、明石藩となる。
今の明石城
元和5年(1619年)正月〜元和6年正月人丸山の地の利を利用し、三木城、高砂城、枝吉城、船上城の木材を
使用し工事→小笠原忠正が船上城から移り住み6月から城内の建物関係の工事開始。
このとき天守閣は、台石まで積まれたが、建てられなかった。
枝吉城(しきつじょう又はえだよしじょう)
兵庫県神戸市西区枝吉4丁目付近にあった、平山城、丘城。
(印南台地が東西に張り出している低い丘陵地)
船上城(ふなげじょう)
播磨国明石郡(明石市新明町)にあった城。明石川河口の西側、明石海峡に面した部分と
明石川の湿地帯に築城された平城、水城でもある。
★明石城:国の重要文化財=1957年(昭和32年)6月18日、巽(たつみ)櫓・坤(ひつじさる)櫓が指定された。、 |
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明石城歴代城主 |
初代 |
小笠原忠真(ただざね) |
信濃松本藩主小笠原秀政の次男 |
10万石 |
2代 |
松平康直(やすなお) |
松平康長の三男 |
7万石 |
3代 |
松平光重(みつしげ |
松平康直の兄松平忠光の子 |
7万石 |
4代 |
大久保季任 |
大久保忠常の長男 |
7万石 |
5代 |
松平忠国(ただくに) |
松平信吉の長男 |
7万石 |
6代 |
松平信之(のぶゆき) |
松平忠国の次男 |
7万石 |
7代 |
本多政利(まさとし) |
本多政勝の長男 |
6万石 |
8代 |
松平直明(なおあきら) |
松平直良の三男 |
6万石 |
9代 |
松平直常(なおつね) |
松平直明の長男:以降世襲 |
6万石 |
10代 |
松平直純(なおずみ) |
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11代 |
松平直泰(なおひろ) |
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12代 |
松平直之(なおゆき) |
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13代 |
松平直周(なおちか) |
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14代 |
松平斉韶(なりつぐ) |
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15代 |
松平斉宜(なりこと) |
11代将軍徳川家斉の子 |
8万石 |
16代 |
松平慶憲(よしのり) |
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17代 |
松平直致(なおむね) |
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★189年間親藩として松平氏の居城となった。
最後の明石城主は松平直致で1874年(明治7年)廃城令により廃城となる。
★親藩(しんぱん)=江戸時代の藩の分類の一つで、徳川家康の男系男子、子孫が始祖となっている藩を指す。
特に、徳川姓を名乗った御三家、御三卿の当主は家康の男系男子、子孫に限られ、
将軍家の血筋が絶えた場合などに、将軍を出す役割を担った。
その他の家は松平姓を名乗った。 |
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柿本神社 |
起源=仁和3年(887年)、月照寺(その当時の位置は、現在に明石城内)の僧・覚証が、
柿本人麻呂の霊がこの地に留まっているのを感得した、として
月照寺の裏に柿本人麻呂を祀る祠を建てた。
元和3年(1617年)小笠原忠真が明石城を築く際に、現在位置に移転させた。
祭神が柿本人麻呂であることから学問の神とされている |
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月照寺(げっしょうじ) |
曹洞宗の寺院。山号は人丸山。本尊は十一面観音。 |
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