姫路城へ
千姫  慶長2年4月11日生まれ(二代将軍徳川秀忠と正室との間に生まれる)
7歳で豊臣秀吉の子秀頼と政略結婚その後、桑名城主本多忠政の息子忠刻と再婚、
本多家が姫路城主となり、千姫も姫路城の姫となる。
千姫と忠刻との間に一男(幸千代)、一女(勝姫)が生まれるが三歳にして長男幸千代が病死、
さらに忠刻も31歳の若さで病死。夫と息子を亡くした千姫は、その後姫路を離れ、
尼となり江戸で70歳までひっそりと余生を過ごしました。
大坂夏の陣で秀頼が自害、死別。元和2(1616)年本多時刻(ただとき)と再婚。
ここにある人形は、弘経寺(茨城県水海道市)所蔵の「千姫姿絵」をもとに再現したものです。
煙草盆があることから、煙草を嗜んだことがわかります。
情景としては、貝合わせを楽しんでいるところを想像してみました。
化粧櫓:=千姫が本多忠刻(ただとき)に嫁いで将軍家よりもらった10万石の化粧料でこの櫓を建てた。
階上には18畳、15畳、窓辺に6畳の3室。男山天満宮にお参りした時の休憩所として使った。

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