平成31年(2019年)3月3日 日曜日(3月第1日曜日) 夜鬼会式



故郷の伝統文化(鬼会式)舊2月7日施行→近年は3月第一日曜日に施行
平成18年3月5日日曜日:23年ぶりに昼鬼会式執行時の写真【鬼会式=夜鬼会式・昼鬼会式・例祭)



鬼会式(おにえしき)の由来とご案内
私たちが住む【中村】には、祖先から継承されてきた有形無形の素晴らしい遺物がたくさんあります。
旧暦2月7日に八正寺薬師堂を中心に行われる通称【鬼さん】=鬼会式もその一つです。
この素晴らしい【故郷中村】の伝統行事を未来へと伝承していくことは、今日に生きる私たちの責務でもあります。
八正寺は、創建以来、薬師如来を本尊としていますが、薬師如来像は後一条天皇の皇太后清浄覚尼が万j寿2年、
大仏師の藤原定朝に命じ彫刻せしめ、朝夕礼拝された御念持仏を、八正寺に金堂を建立し降賜されたとの由来があり、

この金堂をお薬師さんと呼び多くの人々から信仰されてきました。
万寿年間に播磨の国一帯に悪疫が流行し、死者数限りない惨状となったとき、清浄覚尼は、自尊祠薬師如来の
霊夢で八正寺に命じ不動明王、愛染明王に祈願させたところ、悪疫は退散し、庶民の歓喜はその極み達し乱舞したそうです。
その時が旧暦2月7日で、八正寺では毎年当日に追儺式を修し、鬼会式を執り行い、天下泰平、五穀豊穣、悪魔調伏を祈願しました。
赤、青2体の鬼面は、文保2年(1318年)に行春の勧進により、仏師一円和尚が作ったもので、播磨領主赤松円心則村により
不動明王、愛染明王の化身として拝領して以来、鬼会式は寺家が祭事していましたが、
明治維新の神仏分離により寺家の制度がなくなり、旧中村で行事を執行してきました。
鬼会式は61年目とも43年目ともいわれる夜鬼会、大正初年より3年から5年目に行われるようになった昼鬼会があります。
夜鬼会は、八正寺から少し離れたところにある釈迦堂から、行列を作って薬師堂まで進んでいきます。
このとき鬼は、それぞれ赤、青の紙で梅の花を持って練り歩きます。
昼鬼会は、薬師堂前舞台を設けて、若者で鬼となるものは、赤、青の鬼面を被り、数人に護衛され、式場に到着します。
その途中悪魔を表現している大勢の若者に進行を妨げられ、赤鬼、青鬼が乱舞し、争闘し悪魔を退散させる荒々しい行事です。
本年も通年行事である鬼会式を修験者方々の参加を得て護摩を焚き、家内安全、無病息災、商売繁盛などを祈願して頂きます。
下記の要領にて執り行いますので住民の皆さまもこぞってご参詣・ご祈願くださいますようご案内申し上げます。

万寿年間=1024年~1028年後一条天皇の元号
薬師如来=西方極楽浄土の阿弥陀如来に対して東方浄瑠璃界の教主。
       その名の通り医薬を司る仏で、医王という別名もあり、衆生の病気を治し、安楽を与える仏とされます。
       このため仏像もしばしば薬壺を持っています。

(参考 平成24年1月吉日・自治会配布資料)

平成24年3月4日(日)  ★大護摩供養 13時より八正寺薬師堂前にて ★ お面かぶり 14時15分ごろより八正寺薬師堂内陣にて