一乗谷・朝倉氏遺跡 (福井市城戸ノ町にある戦国時代の遺跡) 2009年8月18日(火)

今から約500年前の文明3年(1471年)戦国大名・朝倉氏が5代103年間にわたって
越前の国を支配した城下町跡

山城部分は一乗谷城と呼ばれる
一乗谷城=福井平野を一望できる標高473米の一乗城山に築城された中世山城。
15世紀前半には築かれていたと考えられる。一度も戦闘に使用されることもなく廃城となった。

一乗谷朝倉氏の庭園=諏訪館跡庭園・湯殿跡庭園・南陽寺跡庭園

一乗谷朝倉氏遺跡 町並 

一乗谷朝倉氏庭園

朝倉氏の歴史=祖先は、兵庫県養父郡の豪族。南北朝時代に朝倉広景が
主家の斯波高経(しばたかつね)に従って越前に入国しました。
朝倉孝景の代、1467年の応仁の乱での活躍をきっかけに一乗寺に本拠を移し、
斯波氏、甲斐氏を追放して越前を平定しました。
以後、孝景・氏景・貞景・孝景・義景と5代103年間にわたって越前の中心として繁栄。
この間、京や奈良の貴族・僧侶など文化人が下向し、
北陸の小京都とも呼ばれました。
義景は、足利義昭を南陽寺の迎え観桜の宴を催した。
しかし、天下統一の戦いの中で1573年織田信長に敗れ、
朝倉氏は滅び城下町も焼き討ちにあい灰燃に帰しました。

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