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      安芸の宮島 2010年(平成22年)1月9日〔土〕天候晴   | 
    
    
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      | 弥山(みせん)は宮島の中心にそびえる古くから信仰の対象の山(標高約535米) | 
    
    
      
       
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      厳島(いつくしま)瀬戸内海西部、広島湾の北西部に位置する島。通称は宮島、 
      安芸の宮島ともいう(広島県廿日市市宮島町)。 
      古来より交通人々に崇拝されていた。はじめは島自体が神だったので 
      神殿はなく立ち入る時も体を清めて入っていた。 | 
    
    
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      | 宮島ゆき:宮島松大汽船「片道大人170円・団体運賃15名様以上大人150円」 | 
    
    
      
       
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      大鳥居 
      本社火焼前(ひたさき)より88間の海面にそびえる朱塗りの大鳥居は、 
      奈良の大仏とほぼ同じ高さの16米。 
      重量は約60t。 
      主柱は樹齢500〜600年のクスノキの自然木で作られています。 
      8代目にあたる現在の鳥居を建立するにあたって、巨木探しに20年近い歳月を要した。 
      また根本は海底に埋められているわけでなく、松材の杭を打って地盤を強化し、 
      箱形の島木の仲に石を詰めて加重するなど、 
      先人の知恵と工夫によって鳥居の重みだけで立っています | 
    
    
      
       
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      厳島神社の由来 
      日本全国に約500社ある厳島神社の総本社。 
      宗像三女神(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)を祀る。 
      創建は、推古元年(593年) 
      一杵嶋姫命の神託により佐伯鞍職(さえきのくらもと)によると伝えられる。 
      平安時代後期の仁安3年(1168年)には、 
      佐伯景弘が厳島神社を崇敬した平清盛の援助を得て、 
      今日のような廻廊で結ばれた海上社殿を造営。 
      本殿以下37棟の本宮(内宮)と、対岸の地御前に19棟の外宮が設けられ、 
      全て完成するまでに数年が費やされた。 
      社運は平家一門の権勢が増大していくにつれ高まり、 
      その名を世に広く知られるようになった。 
      鎌倉時代から戦国時代にかけて政情が不安定になり荒廃した時期があったものの、 
      弘治元年(1555年)厳島の合戦で勝利を収めた 
      毛利元就が神社を支配に置き庇護したことから、社運は再び上昇。 
      天下統一を目前にした豊臣秀吉も参詣して武運長久を祈願しており、 
      その年安国寺恵瓊に大経堂(千畳閣)建立を命じる。 
      厳島神社は社殿が洲浜にあるため海水に沈る床柱は腐食しやすく、 
      また永い歴史の間には幾度となく自然災害や火災に見舞われてきましたが、 
      その度に島内外の人々の篤い信仰心に支えられて修理再建され、 
      今日まで平安の昔さながらの荘厳華麗な姿を伝えています。 | 
    
    
      
       
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      ※佐伯鞍職:没後三翁神社、金比羅神社に神として祀られる。 
      ※神託=神の意を伺う事又、その時の伝えられた言葉。 
      ※宗像三女神(むなかたさんじょじん) 
      =宗像大社(福岡県宗像市)に祀られている三神の総称。 | 
    
    
      
       
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